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大阪地方裁判所 平成2年(わ)2736号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二八〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成二年八月一日午前四時四五分ころ、婦女を強姦する目的で、大阪市淀川区〈番地略〉「○○○」二〇八号室のW方の居室内へ、南側の無施錠のガラス戸を開けて侵入し、就寝中の同女(当時一九歳)に馬乗りとなり、目覚めた同女に対し、右居室内にあった刃体の長さ約八センチメートルの洋バサミ(〈押収番号略〉)をその顔面及び背中に突きつけ、その両腕をタオル(〈押収番号略〉)で後手に縛るなどの暴行を加え、「静かにせい、やるだけや。」などと申し向けて脅迫し、その反抗を抑圧した上、強いて同女を姦淫したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(補足説明)

被告人は、当公判廷において犯行を全面的に否認し、弁護人も、本件を被告人の犯行と認めるには、なお、合理的な疑いがあると主張しているので、以下、被告人を犯人と認めた理由を補足する。

一  本件では、犯人と結びつく客観的証拠は全くなく、公訴事実の存否は、もっぱら、被告人の捜査段階における自白調書と、被告人が犯人であるとする被害者の供述の信用性いかんにかかっている。

そこで両者の信用性について順次検討する。

二  被害者の供述について

被害者Wは、当公判廷における証言、検察官及び司法警察員に対する各供述調書のいずれにおいても、被告人が犯人であることは間違いない旨明確に述べており、この供述の信用性はかなり高いものと考えられる。

1  関係証拠によれば、犯行は、午前四時四五分ころから午前五時ころまでの間の出来事であり、当日の日の出は午前五時七分、当時の天候は晴れであった。被害者は、ベランダに面した南向きの室内で、南を枕に寝ているところを襲われたものであり、被害者の腰付近に馬乗りになった犯人の顔は、南すなわちベランダの方に向いていたことが認められる。

被害者は、腰付近に馬乗りになられ、あるいは、のしかかられ、うつ伏せにしたり、仰向けにしたりされながら、判示の様な被害を受ける過程で、犯人の顔を見たというのである。当時室内に照明はなかったが、ベランダに面したガラス戸の大きさ、そこから犯人までの距離など現場の採光状況、被害者と犯人との位置、距離関係等からすれば、被害者が裸眼視力0.03という近視であることを考慮しても、犯人の人相等を識別するには十分な明るさがあったものと認められる。

被害者の供述によれば、被害を受けている間、うつ伏せにされたり、また仰向けにされたときは、そばにあった枕かクッションを顔面に被せられたが、これを被せられる前や、途中これがずれたときに何度か犯人の顔を見て識別できたというのである。被害者は、被害に気付いた直後、時計を見て時間を確認し、犯人の目的が被害者の体にあることを知るや、まず妊娠の心配をし、姦淫後犯人が手にしたコンドームに犯人の精液が入っていたことを記憶しているなど比較的落着いていた様子がうかがわれ、うつ伏せにしたり、枕かクッションを顔に被せられたという事情も、それにもかかわらず犯人の顔を識別できたとする被害者の供述の信用性を大きく損うものとは考えられない。

2  被害者が、被害直後最初に警察官に申告した犯人像は、年齢二七、八歳上下黒っぽい服装、身長一六八ないし一七〇センチくらい、パーマがかかったような頭髪というものであり、これらはいずれも当時の被告人のそれと一致する。また、被害者はこの最初の申告内容以外にも、犯人は、目がギョロっとした感じで、面長、手のごつごつした、きたない感じの男という印象を当初から強く記憶していたことが認められ、これもおおむね被告人の印象と符合する。そして、被害者は、午前六時すぎ、現場近くまで連れてこられた被告人に会わされ、被告人が犯人であると確認した。この面通しは、「犯人らしい男を捕まえたので確認のため見て下さい。」と言って行われており、緊急の場合でやむをえない側面があったとはいえ、いかにも不用意な方法とのそしりを免れないが、被害後面通しまでの時間が一時間余りで、この時間経過は、被害者が落着きを取戻すに足る時間であるとともに、他方犯人の人相等についての正確な記憶の保持を期待することが出来る程度の短時間であること、その間に被害者の記憶を歪めるような事情はなかったことなどからすれば、面通しの右のような方法が、被害者に犯人を誤認させた可能性は少ないものと考えられる。

以上見てきたところを総合すれば、被告人が犯人であるとする被害者の供述の信用性は相当高いものと考えられる。

三  被告人の供述について

1  被告人の供述の経緯

被告人は、午前六時五分ころ、被害現場からほど遠くない(車で一、二分程度)当時の被告人の住居であるパチンコ店「ブーム」の寮の前で警察官の職務質問を受けた。当初事件との関わりを否定していたが、現場近くまで同行を求められ、そこで被害者の面通しを受け、「犯人に間違いない」との被害者の言葉を根拠に追及する警察官に対し、格別反論弁解することもなく、間もなく素直に犯行を認め、その場で緊急逮捕された。その後警察署に連行された後の取調においても犯行を認め、翌八月二日検察庁に押送されるまで犯行を否認することはなかったが、検察官の弁解録取、裁判官の勾留質問に際して犯行を否認し、警察では、「被害者が私を犯人だときめつけたから仕方なしに事実を認めた」と弁解した。しかしその後の警察官、検察官の取調に対し、再び犯行を認め、犯行についての具体的かつ詳細な供述調書が作成された。その供述調書によれば、弁解録取、勾留質問に際して犯行を否認したのは、「刑務所に行ったりすれば、ふが悪いし、早く帰って仕事に戻りたいと思ったから」であると述べている。そして、起訴後、弁護人の最初の接見に際しても、なお犯行を認めていたが、第一回公判期日の直前になって弁護人に対して犯行を否認し、以後公判廷においても犯行を否認し、逮捕された際に犯行を認めたのは、警察官に暴行を加えるような態度を示されたからであり、勾留質問で否認した後再び自白したのは、勾留質問からの帰り、押送の警察官から、「帰ったら道場で投げる」と脅かされたからであると弁解している。

2  被告人の自白調書の内容等

被告人の自白調書は、逮捕当日である八月一日付の簡単なもののほか、警察官に対する同月六日付、一〇日付、検察官に対する八日付、一六日付、二〇日付の計六通である。その内容は、おおむね被害者の供述と一致し、最初の調書に、細部で後の調書と食い違う点が一部ある以外、供述内容はほぼ一貫している。

その自白によれば、コンドームを袋から取り出して陰茎に装着し、姦淫後これを取り外して便所に捨てた、という一連の犯行を、パチンコ店で作業用に使われていた軍手をはめたまま行なったということになっており、この点は確かにやや不自然の感を免れない。この点について被害者は、警察官に対する供述調書において、明示的には述べていないが、「ごつごつした手」というような表現を用いて、そのとき犯人が素手であったことを前提とした供述をしており、公判廷における証言でも、「男の人のようなごつごつした感じ」と述べていることから見て、八月六日付の検察官調書にある「滑り止めのついた軍手のような感じの手で触られた」との供述記載は、犯行に使用されたと考えられるはさみから指紋が検出されなかったことなどから、検察官が誘導した結果である疑いが強い。被告人自身の警察官調書でも、コンドームを取り出したりしたとき手袋をどうしていたかについて明示的な記載はなく、取調官がその点について全く留意していなかったことがうかがわれる。八月八日付の検察官調書の「手袋をはめたまま犯行を行なった」との部分は、はさみから指紋が検出されていないこと及び八月六日付の被害者の検察官調書に基づいてさらに被告人を誘導した疑いを拭いきれない。それにしても、被告人が何故容易に誘導されたかについて、やや疑問は残る。しかし、いずれにしても、「やや不自然」「やや疑問」という程度を超えるものではなく、後に述べる諸点を考えれば、被告人の自白全体の信用性を左右するほどのものとは考えられない。

また、被告人は自白調書の中で犯行現場を出てから職務質問を受けるまでの逃走経路についても供述し、犯行後「すぐ寮の中に入るとふが悪いと思い、十三の方へでも行って時間をつぶしてから帰ろうと思って寮の前を通り過ぎ、途中手袋やコンドームの袋を捨て、自転車で進むうち、こんなに朝早くからうろちょろしていてもかえって変に思われると思い、寮に帰ることにした。寮の前まで戻ったところで職務質問を受けた」旨述べている。それ自体には何の不自然もないが、その中で被告人が自転車で移動したとする経路は、距離にして、たかだか1.5キロメートル程度しかなく、逃走中格別時間をついやしたような事情について何も述べていないことからすれば、午前六時五分ころ被告人が寮の前で職務質問を受けるまで犯行後約一時間が経過している事実と符合しない。ただ取調官の公判証言によっても、取調官はその間の矛盾に全く気付いていなかったのであって、詰めの甘さは否定できないが、ことがらが犯行後の逃走経路に関することであり、その重要性を過大視すべきではない。この点も先の点と同様、以下に述べる諸点との対比において、自白全体の信用性を大きく損うものとは考えられない。

そして、被告人の自白調書には、右の二点を除けばその信用性を損うような不自然、不合理、矛盾等はない。

被告人の自白調書によれば、七月二八日ころ、三国の駅前商店街で偶然被害者を見かけ、好きなタイプだったので、こんな子と付き合えたらなあといった気持から跡をつけてその住いを見とどけた、侵入に当っては、玄関の戸が閉っていたので、一度下に降り、道路からマンションの様子を見渡して侵入口を物色し、再度二階に上がり、ひさしを伝ってベランダにまわり、そこから室内に侵入した、侵入後はまず逃げ道を確保するため玄関の鍵を開けておいた、犯行に使用したコンドームは、二、三か月前に梅田のお初天神通りにある「大人のおもちゃ」の店で買った、キーホルダー型の箱入り二個一組のものである、などと供述している。これらの供述は、捜査官の知らない事実であり、また容易に推察することも出来ない事実であって、被告人が進んで供述したものとしか考えられない。また、このようなことを被告人があえて作り話でする理由も考えられないのであって、これらの供述は、被告人の体験に基づくものと見て差し支えないものと考えられる。そしてこれらが、いずれも犯行の動機形成や犯行の手段方法と密接に関連する事項であることからすれば、自白全体の信用性を肯定する上で大きな意味をもつものと考えられる。

3  緊急逮捕時の被告人の供述

被告人が現場近くで被害者の面通しを受けた際、さしたる抵抗もなく犯行を認めたことは、先に指摘した通りである。逮捕警察官の証言及び緊急逮捕手続書によれば、被害者が被告人を犯人と確認した後、被告人は、犯行を認めるとともに、「さきほど、この近くのマンションの二階にベランダから入り、寝ていた女の人にいたずらしました」「寝ている女の人の両手を押えつけ服を脱がし、パンティをおろして犯しました」と述べた、というのである。これが肯定されれば、被告人が本件の犯人であることは、もはやほとんど動かしがたいものと考えられる。右逮捕警察官の証言によれば、そこに来た数人の警察官が口々に被告人を追及していた状況がうかがわれるが、侵入場所、侵入口について警察官が示唆誘導したことをうかがわせるものはない。当時被告人は警察官の指示に素直に従っており、任意同行を拒否するような様子もなく、何がなんでもその場で具体的な供述を得なければならない状況にはなかったことをも考え併せれば、逮捕警察官の右証言等は信用してよいものと考えられる。

4  被告人の弁解について

被害者の面通しを受け、その場で犯行を認めた理由についての被告人の公判廷での弁解は、前後矛盾し、はなはだあいまいかつ不自然で信用できない。

勾留質問後、再び警察官、検察官の取調に対して犯行を認めた理由についての弁解も、その後道場に連れ出されるようなことは全くなかったのに、自白を維持し前記の各調書が作成されていることなどに照らし、容易く信用できない。

四  結論

以上見てきたところを総合すれば、犯行を認める被告人の自白調書は、大筋において信用することができ、これに被害者の供述など証拠の標目欄に掲げた関係証拠を併せれば判示犯罪事実を十分認めることができるものと判断した。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、住居侵入の点は、行為時において平成三年法律第三一号による改正前の刑法一三〇条前段、同罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法一三〇条前段に、強姦の点は刑法一七七条前段にそれぞれ該当するが、右の住居侵入は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、右の住居侵入と強姦との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い強姦罪の刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で、本件犯行の態様、被害者に落ち度のないこと、被告人の前科前歴等諸般の事情を考慮し、被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二八〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする(求刑懲役四年)。

よって、主文のとおり判決する。

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